和職/WASHOKU
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和職伝道師詳細

青山窯のプロフィール

和職伝道師名 青山窯
カテゴリ 商品・サービス紹介, 体験・見学, 日本語対応可能
ジャンル 日本の伝統工芸
自己紹介 ◆伊万里鍋島焼 青山窯 -seizan gama-

現在30ほどの窯元が軒を連ねる伊万里大川内山。
その大川内山の鍋島藩窯坂の途中に一際目立つ「青山窯」の煙突が伊万里鍋島焼老舗、青山窯の目印です。
青山窯のルーツは伊万里大川内山が鍋島藩窯であった時代、遠祖 川副内蔵介が地区の世話人代表として事業功績を残したことに始まります。
そして激動の明治維新を経て廃藩後の明治16年、民間の陶工として屋号『青山窯』にて創業開始しました。以来100年以上に渡り伝統を大切に守りながら今日に及んでおります。

◆青山窯の歴史
~鍋島焼とは?~
伊万里焼とは、伊万里津から出港したやきものの総称。大川内山の藩窯は正式には鍋島焼です。赤、黄、緑のみの三彩で上絵付けしたものが鍋島焼の特徴一つ。古伊万里・有田焼はそれが五彩、七彩となるものもあります。
鍋島焼は藩の権威をかけて焼かれただけに、すべてに一流を求められました。江戸の絵師に、当時流行の江戸小紋、能装束、歌舞伎衣装などの図柄を描かせ、それを大川内山の職人に渡して学ばせたといわれています。

~青山窯の技術~
翡翠にも似た艶やかな美と、古色をかもしだした、落ち着きある雅趣。これこそ、"鍋島青磁"の伝統の技法「貫入(かんにゅう)」です。この「青磁貫入(せいじかんにゅう)」が出来るのは、かつて鍋島だけでした。青磁の名品を遺した宋の官窯(かんよう)「交壇窯(こうだんよう)」からの、ひび焼きの超難度技法ですが、あまりにも困難を極めるため、他の窯で作られることはついぞありませんでした。青山窯が得意とするのがこの青磁貫入です。曾祖父の代から始まったこの技法、原産の青磁石に独自の釉薬を加え、通常よりも高温で焼く。それを窯出しする際、表面部分と本体の収縮率の差により、意図的に皹(ひび)を入れます。窯から上げるとき、ピーン、ピーンと貫入の皹が入る澄んだ音がし、さらに使っている間にも音がする時もあります。
藩窯(はんよう)ゆえに、子々孫々にのみ伝えられてきた秘法を受け継ぎ、卓抜な技術を21世紀に残す川副青山窯。その作品は、まさしく完璧さだけを追い求めた鍋島藩御用窯の最高技法の結晶、目も眩むような逸品と称賛されています。海外の王室や元首に愛蔵される川副青山窯の鍋島青磁。中でも平成5年9月に同窯で作った香料伽羅(きゃら)を入れた「沈香壷(じんこうこ)」は、中国政府、英国王室、バチカン宮殿に贈呈され、その作品の質の高さは大いに評価されました。

~川副青山経歴~
・元禄7年
大川内山は鍋島藩窯であったが、遠祖川副内蔵介(享保7年11月没)は大川内山地区世話人代表としてお伊勢詣・神社建立等、事業の功績を残している。

・明治16年
川副半三郎 現地(大川内山)に青山窯を創業する。

・明治34年
川副虎次郎 家督相続し青山窯を営業し、明治43年弟川副為之助 東京蔵前高等工業(現東京工業大学)中退、家業に従事し窯変釉を開発し、青山窯の窯変釉として好評を拍し、全国各地で展示会を開催する。

・昭和18年
川副範治 中国青島に渡り煉瓦工場を設立する。(19年現地応召)

・昭和22年
終戦帰国後、川副範治(青山窯)を家督相続する。

・昭和51年
株式会社川副青山に組織変更 代表取締役は専務川副敏郎と二人制となる。
皇太子殿下、美智子妃殿下御来賓の栄を賜る。

・昭和61年
9月1日 川副敏郎代表取締役就任 川副範治代表取締役会長

・平成19年
川副史郎 代表取締役社長就任

◆青山窯の挑戦
「輪繋ぎシリーズ」も以前の古典的デザインから”引き算の発想”で考案された図柄です。
また、お子さんたちが本物の焼き物に触れることで、「壊れるからこそ大切に扱う」という心を教育したいと生み出された「こどものうつわ」シリーズ。
伝統を守り重んじる一方で時代に合った新しい試みが形になる挑戦が日々行われています。

※「輪繋ぎシリーズ」「こどものうつわ」は青山コレクション(オンラインショップ)にてご購入いただけます。

伊万里色鍋島焼陶芸青山窯
店舗/〒848-0025 佐賀県伊万里市大川内町乙1832 | 0955-23-2366
工房/〒849-2305 佐賀県武雄市山内町大字宮野23660 | 0954-20-7301
ホームページURL より詳しく見る(公式サイト・オンラインショップ)

青山窯のクチコミ