和職/WASHOKU
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和職伝道師詳細

小崎葛布工芸株式会社のプロフィール

和職伝道師名 小崎葛布工芸株式会社
カテゴリ 商品・サービス紹介, 体験・見学
ジャンル クールジャパン, 日本の伝統工芸
自己紹介 ■悠遠なる風雅をさりげなく・・・

七百有余年の歴史は悠遠なる風雅をさりげなく今に・・・。
能面の気迫と融和して、奥ゆかしく新しい空間を創造使用とする力は手織りの素朴さ。
葛布の伝統をさりげなく明日へ織り続ける
織元「小崎葛布」

■葛布とは

当掛川に葛布の製法が生まれたのは、その昔、掛川西方の山中にある滝の側で庵を結んでいた行者が、滝水に打たれ、さらされている葛蔓を見つけ、それが繊維として使用できると考えて信徒の老婆に葛の繊維を採る方法を教えた事からと言い伝えられております。
 

歴史的に認識されてきたのは鎌倉時代からで、この頃、原田荘領主の献上記事、「遠州国調誌」によれば、「静御前の舞を源頼朝公御賞翫の折、原田荘西山城主(現掛川市原田区西山)葛の直垂にて出給ふを頼朝公御問ひあらせられ候時、この葛布は当国の物産なりと答ふ」とあり、この頃より用いられていたことがわかります。

 当時は、蹴鞠の指貫(奴袴)に用いられ、江戸時代に入り東海道の掛川宿の繁栄と共に葛布も栄え、広く世間にも知られ裃地・乗馬袴地・合羽地などに使用され、また参勤交代の諸大名の御土産品として大変珍重されておりました。
 

ところが、明治維新による武家階級の転落、生活様式の急転により壊滅的打撃を受け問屋は大半が転業しました。明治の初期、襖の引手の葛布にヒントを得て、従来の着尺巾を三尺巾に織り、東京に出し大好評を得て以来、襖地として生産される事となり、また明治30年頃より壁紙としてアメリカへ輸出したところ、大変評判が良く「Grass Cloth」の名で、最高級の壁紙として喜ばれました。


戦後になると、コストの安い韓国産が出回り再び大打撃をを受け、織元も十軒余りになり現在では数軒を残すのみとなってしまいました。

 伝統を守った葛布の持つ美しさと素朴な味わいは、今でも内外を問わず多くの人々に親しまれ愛用されております。
ホームページURL より詳しく見る(公式サイト・オンラインショップ)

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