和職/WASHOKU
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和職伝道師詳細

あがの焼窯元 庚申窯のプロフィール

和職伝道師名 あがの焼窯元 庚申窯
カテゴリ 商品・サービス紹介, 体験・見学, オーダーメイド・OEM, 日本語対応可能
ジャンル 日本の伝統工芸
自己紹介 ■上野焼の始まり
上野焼の歴史をさかのぼるとその起源は1592年(文禄元年)から1598年(慶長三年)まで行われた豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に至ります。
当時日本国内を統一した秀吉が次に中国大陸の明国征服を目指し、その足がかりとして朝鮮半島に侵攻したのがこの戦争の始まりです。
この戦争中に各国の諸大名は多くの朝鮮人を自国へと連れ帰りました。この中に相当数の陶工もいたのです。
当時の日本では武人の間で侘び茶(いわゆる千利休系の茶道)が流行っており、西国大名たちは連れ帰った朝鮮人陶工たちに盛んに"やきもの"を作らせました。
目的としては当然藩主が自分で楽しむための茶道具の調達でしたが一方で 藩の殖産事業として藩の庇護のもと国産陶器として窯業を奨励したのです。
主立った所を上げると長州の毛利氏(山口県の萩焼)、筑前の黒田氏(福岡県の高取焼)、唐津の寺沢氏(佐賀県の唐津焼)、薩摩の島津氏(鹿児島県の薩摩焼)、そしての細川氏(福岡県の上野焼)が挙げられます。
いずれの産地も文禄・慶長の役の際 日本に帰化した朝鮮人陶工の活躍により、日本陶磁器史における重要な発展を遂げました。
これ以前に九州にはやきものの産地がありませんでした(その原因として樹木が多い国土であることから木器や漆器が発達していたためと思われます)が、この時期を境に西日本の窯業は多いに発展します。
こうした歴史のもと上野焼は誕生に至ります。
■庚申窯について
1884年(明治十七年)に十時 器八郎(ととき きはちろう)が作陶から手を引き、上野焼本筋の窯は途絶えてしまいます。
そこで1899年(明治三十二年)地元有志、熊谷 九八郎(くまがい くはちろう)、高鶴 萬吉(こうづる まんきち)らが復興に着手します。田川郡からの補助金をたよりに細々と窯を築き、しばらく製陶に取り組みますが当時は陶作品の購入者は稀で、一度は窯小屋の火災に遭うなど苦労の時代でした。
こうした中、萬吉には子供ができず、ついには製陶から手を引き熊谷だけが残り、窯を存続させました。
1938年に入ると高鶴 萬吉の弟の子鱗作(りんさく)が上野窯復興を思い立ち号を高鶴 城山(こうづる じょうざん) として高田焼(こうだやき)の上野(あがの)兄弟を呼び寄せて着手し、高鶴(こうづる)本窯を築きます。
翌年1939年から製陶を開始しますが、世情は日本事変に入り1941年には第二次世界大戦が始まります。1944年に政府は美術工芸保存の資格認定の許可制を作り、これを切り抜けるも1950年頃までは販売は僅少でした。1955年に高鶴(こうづる)本窯は長男の茂勝(しげかつ)(号は高鶴 夏山)に家督を譲ります。
1971年に城山の末子であった高鶴 智山(こうづる ちざん)が39歳とのときに庚申窯(こうしんがま)を築窯し、翌1972年から営業を始めます。作品の向上を図り特別に薪専用の窯を建設し、昔日の作品に劣らないものを目指し日夜研鑽を重ねています。

■上野焼のオーダーメイド
庚申窯では少量のご注文から類似商品の販売価格と変わらないお値段でオーダーメイドを受け付けております。
陶器ならではの素朴さや味、釉薬の美麗さなど全行程手作業で作る庚申窯ならではの細かい点までこだわったあなただけの器をお届けします。
詳細については、下記HPをご覧ください。

http://aganoyaki.net/about/
ホームページURL より詳しく見る(公式サイト・オンラインショップ)

あがの焼窯元 庚申窯のクチコミ